こんにちは。
アラサー大学生のRuiです。
今日は、生まれの重要性について書いていきます。
今年は、「親ガチャ」というワードが流行ったみたいですね。
たしか、流行語大賞の候補にも上がっていました。
さて、アメバTVでも「親ガチャ」について、議論する回がありました。
動画はこちら
議題は、「親ガチャ」。
東大卒の宇佐美さん、フィギアスケートの安藤さんは「親ガチャ」という言葉を使うことに批判的な立場。
芸人で東大卒のたかまつななさんは肯定的な立場でした。
人それぞれ、意見は異なり、そのために「議論する」ことが成り立つと思います。
しかし、宇佐美さんや安藤さんは学歴や職歴などからも推察できるように、”典型的な”親ガチャの成功者です。
全く説得力がありませんでしたし、見ていて不快でした。
それに比べて、たかまつななさんは「親ガチャ成功者」であろうにも関わらず、「親ガチャ失敗組」の気持ちに配慮したような意見をされていて、素敵だと思いました。
「親ガチャという言葉を使うことで救われる人もいる」
たかまつさんが言ってましたが、その通りだと思いますよ。
宇佐美さんと安藤さんは、まじで頭○るって思っちゃいました。
YouTubeで公開されていたのですが、コメント欄もなかなかひどかったです。
「こいつら親ガチャ成功してるから、失敗した人の気持ちわかんねんだろーな」的な。
親ガチャ失敗組から見ると、本当に不快な内容になっていたと思いますね。
親ガチャ成功者は大多数の人が、「自分で努力して、上り詰めた」と信じたいんでしょうね。
親ガチャを肯定してしまうと、ここまできたのは自分の努力のおかげではなく、「環境に恵まれていたから」というふうになってしまう。
そういった防衛意識もあって、むやみに否定している気がしてなりません。
現在、29歳。
ここまで生きてきても、生まれや家庭環境は本当に大事だと思います。
自分自身、友人を見ていても思います。
もちろん、過去を振り返って、悲観的になること自体は非生産的で無意味です。
きちんと前を向いて、努力していくことが大事です。
↑ここでジレンマ。
親ガチャ失敗組はそもそも「努力ができる環境」になかったり、「努力する性質」が育まれてないんですよね(笑)
しかし、僕は親ガチャ失敗組は”自分のルーツや過去”について、考えることが重要だと思います。
できれば20代前半くらいには気づきたいですね。
「自分が生まれた時点でどの程度のハンデを持っていたのか」、
「他の人は環境的要因でどの程度優位だったのか」を知ることで自尊心が少しでも高まります。
日本人は本音を口にしません。
だけど、皆思っているでしょうし、真実ですから、断言します。
人生は生まれた時点で不平等です。
街がゴール地点で、走ってそこを目指すという競争があったとします。
Aくんは、C海の浜辺スタート。BくんはC海の沖合スタート。
こんな設定なら、不平等ですよね。
Aくんが勝つのが当たり前です。
スタート地点が違うんですもの。勝敗はすでに決まっていると言っても過言ではない。
生まれた環境もこれと同じくらい理不尽で不平等なものだと思います。
親ガチャ成功組は浜辺スタート。
親ガチャ失敗組はまず沖合スタート。
失敗組は、まず沖合から浜辺まで泳がなければなりません。
そして、浜辺にいくだけでも、大きな波や低水温、サメに食べられる恐怖などいろんな困難がつきまといます。
自分のスタート地点、相手のスタート地点を知らなければ、
「俺なんて、私なんてダメなんだ」「あの人はすごいな」と思っちゃう。
逆に知ることで、
「スタート地点が違うもん、負けて当然」、「自分ってハンデ背負って、不利な状況から頑張ってきたんだな」と思えたりします。
この発想は自尊心UPの可能性もあり、価値は大きいです。
別に自分の人生を正当化するわけでもなく、事実です。
ただ、この気付きを諦めではなく、前に進む原動力にすることが重要ですけどね。
同じゴールに着いたとしたら、沖合スタート組の方がきっと魅力があるでしょう。
荒波に揉まれ、陸上以外の困難も経験している。
俺はそんな人になるぜ。
逆境にめげず、不利なスタートにも関わらず、ゴールしてやる。
結局、親ガチャという言葉が人々の心に突き刺さったのは、「親の人間性、学歴、年収」などが子供の人生に大きく影響するという事実があるからです。
「親ガチャ」が存在するかどうかという議論は不毛でしかないと思います。
教育の再生産ってな言葉もありますよね。
学歴の高い親の子供は学歴が高くなる。
教育を受けた人がこどもにいい教育を受けさせるというスパイラル。
逆に言えば、低学歴の子供は低学歴になりやすい。
教育の再生産をぶち壊す方法はこちら
この本は教育格差について、膨大なデータをもとに考察しています。
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